グライダー人間

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平凡な京大生で良いのか? 学歴社会の終焉に備えるためには

京大的アホがなぜ必要か 〜カオスな世界の生存戦略〜 

京大的アホがなぜ必要か カオスな世界の生存戦略 (集英社新書)

京大的アホがなぜ必要か カオスな世界の生存戦略 (集英社新書)

 

この本を選んだ理由

 僕が今年京都大学総合人間学部に入学した時、母が仕事場の同僚に勧められて買ってきた。貰ったのはいいものの本棚の中にずっと放置してきた。そうして半年が経ち、読む本がなくて退屈していた時に不意に手にとって読んでみた。最初は少しだけ読んで面白くなかったら読むのをやめようと思っていたが、読み始めるとページをめくる手が止まらなくなり数時間で読み切ってしまった。正直な話、僕は京大に入ってすぐはとりあえず京大を卒業できればいいなと思っていた。しかし、こんなにも京大生がたくさんいるのに自分はこのまま平凡な一人で良いのかという疑問が芽生えた。京大生の中には僕と同じ不安を持っている人が少なからずいると思う。そんな人たちにこの本はこれからの大学生活を有意義にするためのヒントをくれるような一冊だった。

本の概要

 ノーベル賞受賞者を多く輩出してきた京大が危機に陥っていることを指摘するとともにここ数年の京大に置ける教育方法の変化を指摘している。京大には変人が多いと世間に言われるが、そういった変人の重要性を説き、また、本来の京大の良さとともに、現代の京大生に向けたメッセージを連ねた本と言えるだろう。

 

心に残った言葉と感想

それを真似すれば誰でも同じように成功できるなんてことはない

 『バタフライ効果』という言葉を知っているだろうか。これは初期値のわずかな誤差が計算結果に与える影響の大きさを述べたものである。数学者で気象学者でもあるエドワードローレンツは天気をできないだろうかと思い、できる限り変数を簡略化することで天気を方程式を元に求めようと試みた。しかしできる限り簡略化したその式ですら初期値がほんの少し違うだけで、答えに大きな違いが生まれることに気づいた。そのことをローレンツはあの有名な言葉で表現した。「ブラジルで一匹の蝶が羽ばたくと、テキサスで竜巻が起こる」。要するに、ある出来事が起きた時にありとあらゆる原因を見いだすことはできないということである。僕たちの気付かないところで結果に作用する要因が介入しているからである。ちなみにあらゆる出来事にはそ出来事に先行する出来事のみによって決まっているという考え方を決定論と言う。筆者はこの決定論を否定しているのである。ここで僕が思ったのは、成功法則を語る有名人はたくさんいるがその人たちの発言を鵜呑みにするのはどうなのかということだ。彼らが成功できたのには、僕たちにはどうすることもできない要因、例えば運や育った環境、容姿が少なからず関わっているのではないだろうか。彼らの言葉を盲信するのは良くないと思う。そうは言っても、僕は成功者の助言を無視しろと言っているわけではない。大切なのはたくさんの成功者の助言を聞くことで共通して挙げられるポイントを見つけ、自分にあった形で取り入れ、うまくいかなければすぐに切り替えてまた別の方法を試すことなのである。

 

生物は、何か目的を持って生き方を「選択」したわけではない。環境のほうが、生き残る個体を「選択」したのです 

  キリンの首がどうして長いか知っているだろうか。多くの人は高いところにある食べ物を食べる為だと言うだろう。しかし実際はそうではない。遥か昔に突然変異によって長い首を持った現在のキリンの祖先がたまたま登場し、結果的にたまたまその祖先が生き残っただけなのである。要するにキリンの首が長くなったことに対する理由をつけるとしたらそれは「たまたま首の長い種が生き残ったから」なのである。まだ首の短いキリンが多く存在していた時、突然変異によって生まれたその祖先は他のキリンから白い目で見られただろう。迫害されたかもしれない。それでも生き残ったのは首の長いキリンだったのだ。まさに環境が生き残る個体を「選択」したのである。人間についても同じことが言えると思う。世の中には大小様々なコミュニティにおいて変人と呼ばれる人たちがいる。彼らは彼らが生きる環境に選ばれなかっただけであり、他のもっと特殊な環境に選ばれ、大活躍する可能性は大いにあると思う。実際一般的に成功者と言われるような人は変人であることが多いと聞いたことがある。先の特殊な環境として長らく変人を受け入れ、自由の学風を元に変人がのびのびと才能を発揮できるような環境が京都大学なのであった。それが今となっては社会に出てすぐに役立つ人間を育成する大学になりつつある。つまりは言われたことだけを忠実にこなすことを得意とする人間を「選択」する環境になりつつあるのだ。僕自身京大に入ってたくさんの変人を見てきたが、彼らが必要以上に冷たい目で見られているような気がする。もっと自由だったころの京大で勉強できたらと思わずにはいられなくなった。

いまは使えないガラクタがいっぱい溜まって、それがある臨界値を超えたときに、一気につながって何か新しい意味を持つようになる

これはいろんな意味での多様性の重要性を説いた言葉である。効率ばかり追い求めて合理的なことを優先するだけではダメで、遠回りしながらガラクタを拾いあつめた先に新しい何かを発見することができるのだ。 人によって集めるガラクタは異なる。その人がふと興味を持って調べたことがガラクタとして溜まっていくのだ。それぞれのガラクタは一見何の関連もないように思えるが、ガラクタの数が膨大な量になった時繋がりが急に見えるようになるのだ。ここで京大教養部(総合人間学部の前身)の名物教授として長く活躍し、「無駄の効用」を説いてきた数学者、森毅先生の言葉を紹介する。「努力をどんどんムダにできるのが若者の特権である。そして、どれだけ自分の努力を葬りながら先へすすめるかにその人の器量はかかっている」。普段からいろんなことに意識を向け、興味を持てそうなことはどんなに些細なことでも調べようとする姿勢が大切であるということを教わった。先の言葉は僕に失敗する勇気を与えてくれた。結局、無駄なことをやって失敗しなければ人生は変わらないのである。